素晴らしきバレエの世界
ーバレエをはじめたきっかけは何だったのですか。
たぶんロシアのボリショイだと思うんですけど、「くるみ割り人形」がテレビでやっていたのをたまたま観ていて、そこで踊っていた男性たちが息を揃えて高々とジャンプを決めるのを観て、何でかわからないんですけど、すごく感動したんですね。それで母に「自分も習いたい〜」ってせがんだんです。母はすぐに忘れるだろうと思っていたのですが、その感動が忘れらない私は1年経っても言い続けていたんです。そうしたら仕方ないなと。でも我が家は言い出して始めたことは絶対辞めてはいけないという決まりがありまして、重々約束して始めたんです。小学校4年生のときでした。
だいたいバレエというと3、4才くらいから始める子が多くて、周りの友達もやっている子はそのくらいから習っていて、私はその時もう4年生でしたから、かなり遅いスタートだったんですよ。なので母が近所の子が通っていない教室を探してくれて、そこでバレエを習い始めたんです。
いざ習いはじめたら、クラスの中で自分だけ大きいわけですよ。当然ですけど同じ年齢の子たちはもっとレベルが上で、そのクラスには入れてもらえないんですね。
当時の写真を見ると、忘れもしない「カッコウワルツ」だったんですけど、4、5才くらいの子たちの中で私一人だけひょろっと大きくて、猫背で姿勢も悪く、本当下手くそなんですよ。おまけに外遊びが大好きだったんで色が黒くて、、(笑)
でも先生が上手だったのか、自分自身は全然下手くそだっていう意識もなくずっと続けていくことになるんですけど。
ーそこからバレエにのめり込んで行ったという感じですか?
いや全然(笑)
他にピアノや習字もやっていましたし、普通に週1、2回の趣味っていう感じで、割りと淡々と続けていました。もちろん楽しんでましたけど。
習いはじめてから数年して、通っていた教室に東京のバレエ団で踊っていた先生が教えることになったんです。その方は、バレエは見ているほど簡単ではなく厳しいものだということを教えたかったのだと思いますが、子供の私には訳がわからなかった……。だから私のようなただ楽しくてやっているというのは許さない感じで、とても厳しい指導に遭いました。私だけずっと役が付かなかったり、教室から放り出されたり。あまりに状況がひどくなった時に一度だけ辞めたいって母に話したことがあったんですけど、一度始めたら辞めない約束でしたから、結局は辞めずに続けました。
今、自分が教える立場になってわかるのですが、すごく良い勉強をさせていただいたと思います。私ものちに東京バレエ団に入り、先生が教えたかった事がわかったし、その頃の想いでがんばれたところはありますね。
ープロのバレリーナは、いつ頃から意識したのですか
本当それも全然で、他のがんばっている友人達は遅くまで残って練習していたんですけど、私はレッスンが終わると自主練もせずすぐ帰るし、高校生のときも大学に行っても週2回の趣味という感じで、いたってマイペースにやっていたんです。
ところが、今でも“東京の母”と呼んでいる恩師がいるんですけど、その方が指導してくれていた時に、私を突然ソリストに抜擢してくれたんです。「コッペリア」という作品だったんですけど、背が高くて細かったから選ばれたんだと思いますが……(笑)。さらにその翌年に現在の私を作ってくれたといっても過言ではないハンス・マイスター先生に出会ってご指導いただくのですけど、「シンデレラ」では冬の精、そしてその次の「くるみ割り人形」では主役に抜擢してくださって、そこからいきなり道が開けてきた感じですね。
そうなると練習環境やバレエとの接し方も全く変わってきて、昼夜練習漬けの毎日がはじまり、出たことがなかったコンクールにも出るようになりました。
東京新聞や埼玉のコンクールで色々入賞したりして結果が付いて来るようになり、ついには海外のフィンランドやモスクワバレエコンクールにも出る機会を得ました。それから前述のハンス先生に呼んでいただいて、1年間スイスのチューリッヒで学ぶ機会もいただきました。まさにバレエ漬けの日々です。
でもそうしているうちに今度は大学の卒業が危なくなりまして、、日本に帰ってきて何とか卒業できたものの、就職活動がまったくできていなかったんです。周りはちゃんと就職先を決めているのに、自分はどうしようと。そうなるともう自分にはバレエしかないわけですよ。
そこで将来はバレエを仕事にと思うようになり、ずっと通ってきた地元京都の教室を離れ、東京バレエ団のオーディションを受けました。
プロを目指す子は、早い子は15歳、通常は高校卒業してすぐにカンパニー(=バレエ団)に入るので18歳くらいなんですけど、私は大学卒業してから入ったのですでに22、3歳。またここでも人より遅いという。同期のみんなからは「ばあちゃん」って呼ばれてましたもん(笑)